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執筆者の写真a.kurisaki

「聖書的な説教をしてくれる牧師なら誰でも」。それ、ホントですか⁉

「聖書的な説教をしてくれる牧師なら誰でも」

牧師招聘を考えている教会の方から、意外とよく聞く言葉です。

OCC無牧ミニストリーズに 以前お問い合わせくださった教会役員の方に質問しました。


「それでは、どういった先生を希望されますか?」


すると、あの答えが返ってきました。

「聖書的な説教をしてくれる牧師ならどんな方でもいいです」

それを聞いて私は

「ああ、またか・・・。そんなわけないのに💦はじめから説明しなくちゃ」

と思いました。


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聖書的って、案外むずかしい

もしかしたら、「その答えのどこがいけないの?」

と思われる方もいるかもしれません。


しかし「聖書的」という言葉が、なかなかに難しいのです。


当たり前のようですが、

私が聖書的だと思うことが、あなたにとっても聖書的である、とは限りません。


「普通」が意味することが、人によって違うように、

「聖書的」という言葉も、人によって意味することは違います。

多くの教派がある、ということもその表れでしょう。

同じ聖書を用いていても、その解釈には幅があります。 そしてそれぞれが「自分たちは聖書的である」と信じています。 (もちろん、それで良いと思います)

また

「私の説教は聖書的ではありません。聖書的な説教をしないのが私のポリシーです!」

なんて牧師はいないんです。※もしいたら、それはたぶん牧師じゃない 笑

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誰でも良い、わけない

さて、先の問い合わせのお話に戻ります。


その役員の方に、試しにこう聞いてみました。

「ちなみに、以前の先生はどういう方でしたか?」

「教会を開拓した牧師が召された後、  しばらく来てくれていた先生がいたのですが、

 賛美するときに立つように促すんですね。    私たちの教会の雰囲気に合わないので、  辞めてもらいました」

がーーーーーん!!誰でも、よく、なかった!!!!Σ(゚Д゚)

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知っておくべきこと

教会の方々にはまず知っていていただきたいことがあります。


①自分たちの教会には、独自の文化がある 


ということ。それは普遍的なものではないし、外部の人には当たり前ではないのです。

また、普遍的ではないので、必要なら変えても良いのです。 (これがなかなかできない教会が多い💦また今度機会があれば書きますね)

また

②自分たちの信仰は、特定の神学的背景の中で培われてきたものである

ということ。当たり前ですが、忘れやすいことでもあります。

それが分かりにくい場合、とりあえず、

自分たちの教会の特徴は何だろう?どんな文化を持っているだろう。

と考えることからスタートしてみるのが良いかもしれません。

「こんな牧師がいい」、がイメージつきにくい場合、逆に

「こんな牧師は嫌だ」で考えてみるのも手じゃないでしょうか。


もしお困りのことがありましたら、

OCC無牧ミニストリーズまでお気軽にお問い合わせください😄

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