牧師の仕事、多すぎませんか?②💦-教会の文化を考える-
更新日:2023年5月1日
前回は牧師の職務について考えました。
そこで見えてきたのは、
実は牧師がやらなくても良いことがたくさんあるのでは!?
ということでした。
前回のをまだお読みでない方はこちらからどうぞ😊
「そうはいっても、牧師なんだからそれくらいやってよ! そのための牧師でしょ!?」
「お給料払ってるんだから!」
「これだから最近の牧師は・・・」
という声も聞こえてきそうな今日この頃、皆様いかがお過ごしですか?
私は元気です😊
ご存知の方も多いかもしれませんが、
日本では神学校の入学者数が減少しているだけでなく、
”神学部卒業生が牧師になる率”も減っています。
もしかしたら、牧師が「あまりなりたくない職業」になってしまっているのかもしれません。
また、牧師の燃え尽きも問題視されていますね。
ここでちょっと考えます。
これらが間違った牧師観に由来しているとしたら。。。?
今当たり前とされている牧師像って本当に聖書的なの?
今日は教会のメンバーが分担して奉仕を担うことの聖書的根拠からお話ししたいと思います。
目次
みんなで担う ーその聖書的根拠ー
無牧期間の後、また戻ってしまうケース
良い文化を維持するために
・みんなで担う聖書的根拠
「前任の先生はやっていたのに!」
「前の牧師婦人はこれくらいやった。今の若い人は・・・」なんて、よく聞きます。
しかし、奉仕を分担することは実は聖書的なのです。
エペソ人への手紙 4:11-12
4:11 こうして、キリストご自身が、ある人たちを使徒、ある人たちを預言者、ある人たちを伝道者、ある人たちを牧師また教師としてお立てになりました。
4:12 それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためです。
ここには牧師の役割が書かれています。
牧師の仕事は、「あらゆる奉仕をすること」とは書かれていません。
「聖徒たちを整えて奉仕をさせること」とあります。
教会のメンバーが奉仕を担うよう教え、整えることが牧師の仕事です。
また使徒の働き6章には、使徒たちが「祈りと、みことばの奉仕」に専念した結果、
教会がますます成長した様が描かれています。
教会がしっかりとその使命を果たすためには、
みんなが奉仕を分担する文化が必要なのではないでしょうか?
※もちろん、牧師が率先して仕える姿を示すことは前提です。
支配的になるなどは論外ですね😌
無牧期間の後、また戻ってしまうケース
無牧になるとき、メンバーが奉仕を担う文化が生まれやすくなります。
担わなければ、教会が機能しなくなるからです。
もちろん無牧になることは喜ばしいことではありませんが、
ある意味で、教会の硬直した文化が変わるチャンスでもあるのです。
「いやいや私なんて、、、」と言っていた婦人が賛美リードをしたり、
礼拝が終わったらすぐ帰っていたお父さんが祈り会で司会をしたり。
それはもしかしたら初代教会の雰囲気に近いのかもしれません。
しかし残念な知らせもよく聞きます。
新任牧師を迎えた途端、また戻ってしまうということです😱
無牧教会に赴任したある先生はこう表現しました。
「無牧期間、みんな必死で頑張ってきた。それはよく分かる。 でも私が赴任した途端、『やっと解放された』とばかりに
ほぼすべての奉仕が私に引き継がれた。 疲れ切った人々が一斉に私に向かって倒れ込んできた感じ。 受け止めきれない。」
しばらくしてその先生は辞めてしまいました。
良い文化を維持するために
無牧期間は、教会が自らのあり方を見つめ直す機会にもなります。
しかし、その変化は維持されてこそ意味があります。
そのためには、
メンバーが成熟した考えを持つことが大切です。
聖書的な教会の姿とはどのようなものか、
自分たちはどのような教会でありたいのかをはっきりさせておくことが大切でしょう。
また牧師を招聘するとき、職務内容を曖昧にさせないこともおすすめします。
「え?これも牧師の仕事なんですか?💦」とならないためにも、
ジョブ・ディスクリプション(職務内容記述書)を作成することも有効ではないでしょうか?
繰り返しになりますが、無牧期間はそういったことを話し合うチャンスでもあります。
そういった意味で、教会が変わる準備期間にもなりうるのではないでしょうか?
次回(5月末予定)は
-教会の文化を考える-③(おまけ)
牧師家庭の問題について考えたいと思います。
献身したくない牧師子弟
「部活に行くのも気を遣う」
「僕のおもちゃが・・・(T_T)」
依存しない・させない関係
などを予定しています。
お楽しみに。
最後までお読みいただき本当にありがとうございました。
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