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執筆者の写真a.kurisaki

牧師が亡くなったときーそれでも旅は続くー


牧師を失うのは悲しいことです。


身内を失うような者でしょう。

その教会を開拓したり、自分たちを救いに導いてくれた牧師ならなおのこと、

教会にとってのショックも大きいと思います。

しかし厳しいようですが、

その悲しみにとどまり続けるか、前を向くかは(今すぐ、でなくても)

いつか決めなければなりません。



目次

  1. ある教会(東京)の事例

  2. 教会の志向性

  3. モーセの死



ある教会(東京)の事例

「教会の持続可能性」をテーマにクリスチャン新聞が特集を汲んでくれています。

毎年教会が閉鎖されていく現状などがよく分かる素晴らしい特集です。

7月10日付けの記事に気になるものがありました。

それは東京都のある教会の事例です。

  • 教会を開拓した牧師が数年前に召されました。

  • 以来5人ほどで礼拝を守っています。

  • 賛美歌を歌い、牧師の遺した説教ノートから順番に説教を読む、 というスタイルを続けています。

先に述べたように、

教会を開拓し、自分たちを救いに導いてくれた牧師を失ったことは本当に心苦しいと思います。


決してその方々を裁くわけではないのですが、気になることが書かれてありました。

  1. 牧師招聘に関してメンバーたちから話が出ていない

  2. 「教会が作ってきた礼拝の形を今は守り続けている。今の人数ならその体制を変える必要はない」と教会員が思っている

この教会がそうであると言い切ることはできませんが、

  • 牧師を失ったショックから立ち直れずにいる

  • 前任牧師の面影を追い求めて、後継者を迎えることができない

  • または迎えてもフィットしない

という教会はたくさんあるように思います。

いくつかのことを知っておきたいと思います。

教会の志向性

教会や牧会に関する著書も多いゲーリー・マッキントッシュ博士によると、


  • 小規模の教会は人間関係に重きを置く傾向が強く

  • 物事の決定基準が「新しく加わるであろう人々のため」ではなく、 「今いるメンバーにとってのベスト」となってしまいやすい

そしてその志向性は未来ではなく、過去に向きやすい

「今までこうしてきた」ということが、

「これからどうしたい」ということより優先されてしまいやすいのです。

その結果、変化を伴う提案がされにくくなります。

上の教会はまさにそういう状況なのかもしれません。

教会が形作ってきた礼拝のスタイルを守ることは素晴らしいし、

今の人数ならたしかに問題ないと思います。

しかしそれはあくまで、「今の人数でいつづけるなら。。。」なのです。

教会の未来を思うなら、違う方法が採られる必要があるかもしれません。

いつかは変化を選択する必要があると思うのです。

モーセの死

偉大な指導者モーセを失ったとき、民は悲しみましたが、

その期間はいつか終わらせなければなりませんでした。

そうでなければ旅を続けられないからです。

申 34:8 イスラエルの子らはモアブの草原で三十日間、モーセのために泣き悲しんだ。

こうして、モーセのために泣き悲しむ喪の期間は終わった

悲しむ期間は大切です。本当に。

しかしいつかは前を向かなければなりません。


新しいリーダーをたてなければならないかもしれません。

他の教会や教団からサポートを受けなければならないかもしれません。


それは現状を維持するためではなく、

教会が前進し続けるためです。


「これからどうするか、どうなりたいのか」

「神様は私たちの教会に何を望んでおられるか」

ということを考えなければならない時がきます。


そして、それは勝手にはやってこない。選択なのだと思います。

厳しいようですが、

現状維持を望むとほとんどの場合教会は衰退します。

やがて衰退し、消滅する群れになってしまうのか。

それとも、イスラエルの民のように、再び前進する群れになるのか。

それは何より教会のみなさんの決断にかかっているのです。

そのためには教団やまわりの教会のサポートも欠かせないでしょう。

特に無牧教会は、まわりのサポートがなければ立ち直れないときがあるからです。

またOCC無牧ミニストリーズも何かお手伝いできることがあるかもしれません。

費用などは一切かかりませんので、どうぞお気軽にご相談ください。



・・・・・・・・・・

では、「無牧期間も未来を見続ける教会であるために、どうすれば良いか?」

ということに関しては、また別の機会に書かせていただきたいと思います。

みなさんの教会に祝福がありますように。

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